











ハンハルト hanhart
MADE IN GERMANY

彼は静かに部屋を出る前、まだ眠っている彼女の額に優しくキスをしました。
ハンガーにひっかけてある彼のウォッチを見ると思わず彼は微笑んでしまう・・・
彼女は彼の時計のボタンを彼女の赤いマニュキアで塗っていたのです・・・
彼がいつも彼女のことを想い、毎日元気に安全に帰宅するように・・・と願って。
これが赤いボタンの伝説のストーリーです。
この赤いボタンは1938年に初めてクロノグラフウォッチを世に送り出して以来独特のトレードマークとして親しまれています。
これはパイロットが不意にstop timeをゼロに戻すことが無いようにと赤く色付けされているのです。
▼ムーブメント
機械式自動巻クロノグラフ HAN3809(bicompax)
28,800 振動/時 4(Hz) 28石
スケルトンローター(Hanhartロゴ刻印)
42時間パワーリザーブ
▼機能
ハック(秒針停止)機能
スモールセコンド(9時位置)
クロノグラフ30分積算計(3時位置)
日付表示(6時位置)
▼ケース
ステンレススティール
無反射サファイアガラス
スクリューダウン
無反射サファイアガラスケースバック
非ねじ込みリューズ
ケース直径44mm
ケース厚み15mm
10気圧(100M)防水
▼ダイアル
スーパールミノヴァ塗布
インデックスマーク
▼ストラップ
カーフレザー(バックル)
正規メーカー保証期間:2年間
ずっと使うものだから、正規代理店の優美堂でお求めください。
OUR TRADEMARK彼は静かに部屋を出る前、まだ眠っている彼女の額に優しくキスをしました。ハンガーにひっかけてある彼のウォッチを見ると思わず彼は微笑んでしまう・・・彼女は彼の時計のボタンを彼女の赤いマニュキアで塗っていたのです・・・彼がいつも彼女のことを想い、毎日元気に安全に帰宅するように・・・と願って。
これが赤いボタンの伝説のストーリーです。この赤いボタンは1938年に初めてクロノグラフウォッチを世に送り出して以来独特のトレードマークとして親しまれています。これはパイロットが不意にstop timeをゼロに戻すことが無いようにと赤く色付けされているのです。
HISTORY MEETS MODERNITYGutenbachの拡大の一端として、1934年に第二製造工場が建設されました。また同じく黒い森のSchwenningenの工場も建設が進みました。
このように、ハンハルト Hanhartは先進の伝統的なパイロットクロノグラフ製造の基礎を着実に築きあげて行き、今日でも世界中の多くの愛好家から高い評価を得ています。
全ての機械式及び電子式ストップウォッチはクロノグラフウォッチと同じく本社のあるドイツのGutenbachで製造されています。
ストップウォッチ製造のマーケットリーダーに加え、ハンハルト Hanhartは腕時計の分野でも成功を続けています。機械式ウォッチの製造において更に進化するため全く新しい時計製造ラインがGutenbachに建造されました。
新しいハンハルト Hanhart Museumはこの新しい製造ラインに隣接しており、大きく開放的な窓を備え、20世紀初頭の工業的な雰囲気から創造性を導き出し、Hanhartの長い伝統を今日のテクニカルノウハウに結び付けています。
HISTORY ▼ 1882年 スイス人の時計技師Johann Adolf Hanhartは1882年にドイツの小さな町Diessenhofenに時計店をオープンし創業しました。そして、その後1902年に南ドイツのSchwenningenに会社を移転させました。1920年代に会社を劇的に進化させたJohan Hanhartの最も年少の息子であるWilhelm(Willy) Julius Hanhartが創業の年1902年に生まれました。 |
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▼ 1920年代 20世紀の半ばまでは、ストップウォッチは主にスイスで製造され、比較的高価なものでした。1924年にWilly Hanhartは世界でも最も手頃な価格の機械式ストップウォッチを製造し、Hanhartに飛躍的な進歩をもたらしました。それは、その後今日まで続くストップウォッチ分野のリーディングカンパニーとしてのスタートボタンを押した時でもありました。 ▼ 1930年代 その後ハンハルト Hanhartは商品群をポケットウォッチや腕時計へと広げ、機械式の複雑系モデルの製造にも取り組むようになりました。会社発展の一端として、ドイツの黒い森にあるGutenbachに1934年に第二工場を建設し、その地は今日のハンハルト Hanhart本社の所在地となっています。 |
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1938年初代のハンハルト Hanhartストップウォッチが世に出ることになり、ハンハルト Hanhartにとって新しい時代の幕開けとなりました。Mono pusherストップウォッチの “Calibre 40mmは今日でもコレクターの人気アイテムとして愛され続けています。 |
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そして、Calibre 40mmはその後、伝説的なパイロットストップウォッチであるCalibre 41mmや“Tachy Tele"へと引き継がれていきます。美しいフォルム、それに時を刻む正確さと高い品質はこの時代にハンハルト Hanhartブランドのコアとして確立されていきました。 |
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▼ 1940年代 製造は拡大を続けていました。Hanhartはその後も機械式ストップウォッチやタイマーのような革新的な商品、また、電池駆動のムーブメントを備えたクロックやアラーム機能のあるウォッチなど製造分野を広げて行きました。 |
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1952年Schwenningenにある本社は建て直しが行われました。また、同年ハンハルト Hanhartは今日のBasel Worldに初めて出展したのです。そして、ハンハルト Hanhart社は精度の高いストップウォッチメーカーとしてマーケットリーダーのポジションを得て行きます。 |
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▼ 1960年代 Hanhartは1963年に同じくドイツの黒い森のNeukirchに第三の工場を建設しました。この当時はドイツの全ての学校やスポーツクラブでハンハルト Hanhartのストップウォッチが時間計測に使用されていました。 ▼ 1970年代 クォーツ時計の時代が1972年に全盛を迎えます。ハンハルト Hanhartはプラスチックの成型部門を設立しクォーツムーブメントの開発を進め、数百万個の販売に至り大いに社業を発展させます。多くのカスタマーにとってHanhartは自社のアラームクロックやウォッチに自社製造のムーブメントを使う会社として有名になりました。 ▼ 1980年代 1980年代になってアジアからの安価なクォーツムーブメントがマーケットに現れ、この状況に対応するため価格政策面でのプレッシャーが増してくることになります。 ハンハルト Hanhartは1981年にこの問題に対抗するために新しい廉価タイプのクォーツムーブメントを開発することになります。それが1982年に製造が始まるcalibre 3305で当時4,000万個を売り上げました。 Willy Hanhartの義理の息子(娘の主人)にあたるKlaus Ebleは従業員として入社していましたが1966年にHanhartの経営を引き継ぐことになります。 ▼ 1990年代 時計製造の伝統的なクラフトマンシップが1990年代に再び脚光を浴びることになり、ハンハルト Hanhartはそのルーツに回帰します。 ハンハルト Hanhartは1939年からの精巧に製造されている伝説的なパイロットクロノグラフを1997年に再発売し、限定2,500本は記録的な早さで完売にに至っています。 追加リリースされるモデルはエクスクルーシブのコレクタ―アイテムとしてその後も更に進化してゆくことになります。現在のPIONEERの先代モデルはこのようにして誕生しました。 ▼ 2000年代 2004年 HanhartはDornier by Hanhart という限定モデルをリリースしました。また、2007年には125th anniversaryと刻印されたOpus 41という特別モデル、そして、プラチナ製の手巻クロノグラフを39本の限定販売、更にフライバック機能やストップウォッチを備えたツインセットのモデル、そして、2008年には熱狂的なクラシックラリードライバーを距離計測のための革新的なツールとして魅了したTachymasterというストップウォッチをリリースしました。そしてこのモデルはヨーロッパで最も重要なストッップウォッチメーカーとしてハンハルト Hanhartのポジションを一層確立するものとなりました。 機械式クロノグラフとしてのPRIMUSは2009年にデビューします。このPRIMUSはHanhartの高い精度と信頼性という伝統的な価値を斬新なデザインへと導いたモデルです。 |
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▼ 2010年代 BASEL WORLD 2010において、ハンハルト Hanhartは伝統的なHanhartのパイロットウォッチのデザインとテクノロジーの基礎となっている初代のPIONEERを出品しました。また、1960年代、1970年代のモータースポーツレースとの友好な関係のハイライトとして、従来のステンレスに比べてキズに対する強い抵抗力を備えたHDSproステンレスを使ったケースのRACEMASTER を2013年にリリースしました。 |
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